英語できていいね~違和感の正体
新しい生活が始まって、それが、外国となると、どんな感情がわきますか?
やった!憧れの海外!うーん、英語通じるかな・・・。人それぞれだと思います。
アメリカの生活が長くなって、日本で友達に会ったとき、よく聞くのは、英語ができるから、いいよね・・・、という言葉です。
けど、違和感を感じてたんですよね、英語できるからいいねって…
自分は、子供のころから英語が好きで、いつか海外に出て生活するんだ、という思いがあったので、
英語でコミュニケーションができるように、子供のころから勉強していました。
ですが、こちらで大学に来たとき、笑えるくらい、話が通じなかったのです。
勉強の英語と、日常会話は違う、という見方もあるでしょう。
確かに、勉強で学ぶ、カタい表現ではなく、日常会話では、
文法どおりでなかったり、くずした話し方だったり、学校では習わないことはたくさんあります。
最初に大学でESL(English as second language)のクラスにいた当時、
友達と話をするのに、what are you going to do?
what ya gonna do?とかっこよく言えるようにと何度も練習して、
無理やり友達の前で使っていたこともありました。
そうしたひとつひとつの積み重ねが、英語でコミュニケーションするのに役立ったかとは思うのですが、
それでも、「英語できるから、いいよね・・・」という言葉には、違和感がありました。
なに、というわけではないのだけれど・・・。そんなもやもやを長く感じていたのですが…。
先日、何気なく、ネットを見ていて、目にした記事が、なるほど、と思ったことがありました。
日本語はズームインで、英語はズームアウトだ、というのです。
ん?
つまり、日本語は、周辺情報から、中心になること、へ情報だしをしていくのに対して、
英語は、中心になることから、周辺情報へと情報だしをする、というのです。
例えば、住所でいうと、
日本語は、東京都港区赤坂1-1-1なのに対して、
英語は、1-1-1 Akasaka, Minato ku, Tokyoとなります。
日本語は周辺から中心へ、英語は中心から周辺へ、となってますね。
住所だけかというと、そうでもなく、
例えば、「青い鳥」を例にとると・・・
日本語は、
昔々、ある大きな古い森のはずれの小さな家に、木こりの夫婦が住んでいました。
英語は、
Once upon a time, a woodcutter and his wife lived in their cottage on the edge of a large and ancient forest.
となります。
逆だ、というのは簡単なのですが、これ、自然に切り替えようと思うと、なかなか難しいと思いました。
実際の日常生活のなかでのやりとりを振り返ってみると、
「英語を日本語(の頭で)考えている」ことが、多いのかもしれません。
だとすると、
ネイティブは、英語を「英語の頭で)考えて、やりとりをしているのに、
日本人は、英語を(日本語の頭で)考えて、やりとりをしていたら、
お互いにギャップ、違和感は生まれると思いました。
リズムが、違うし、話の出発点が違うから、話はわかるけど・・・となるのではないか、と・・・。
だから、英語ができるから、いいね、という言葉に対しての違和感はこれだったのか、とすっきりした気分になりました。
英語ができるから、いいね、コミュニケーションがはかれるから、というのとは、違う、とずっと感じてたのです。
それを、文化を理解する、とか、うちとけるようにふるまう、とか、そういうものだと漠然と感じていたのですが、
ズームインと、ズームアウトの違いか、と思うと、なるほど、と思えました。
それまではあまり意識したことはなかったのですが、振り返ってみると、確かに、中心になるものから、周辺へと話が進んでいくようなイメージがあります。
それを聞きながら、自分は、周辺から中心へ、と情報出しをしているような気がします。
アメリカで生活するにあたって、コミュニケーションの不安を感じている人は、このあたりを意識してみると、意外とスムーズにことが運ぶかもしれませんね。